水元の歴史

地名の由来

水元(みずもと)

水元と言う呼び名は、小合溜(旧名・小合溜井、こあいためい)
からきていると言われています。
この小合溜井は、幕府が亨保14年(1729)、
治水のために井沢弥惣兵衛に命じて中川を開削させたことにはじまり、
平時は、東葛西領50余町村の灌漑用水(上下之割用水)
として利用された水源地でもありました。
小合溜井が田畑を潤す水の流出口であったことから、
水の元、水元となったと言われています。明治22年、
江戸期の上小合村下小合村・小合新田・猿ケ又村・飯塚村が合併し、
南葛飾水元村となりました。更に昭和7年、葛飾区の誕生とともに、水元村は、
水元小合上町・水元小合町・水元小合新町・水元猿町・水元飯塚町となり、
いずれの町名にも「水元」の名称がつけられています。
これらの各町名は、昭和56年、住居表示の施行にともない
東水元・水元・水元公園・南水元と変わり、現在に至っています。

猿ケ又(さるがまた)(旧水元猿町)

「猿ケ又」は、鎌倉時代、寛元元年(1243)の香取神宮文書に
「猿股」と見える古い地名です。南北朝時代には関が設けられるなど
河川交通の要衝として栄えたところです。地名の由来は、
「猿」は不明ですが、「また」は川の合流地点を意味しています。
一説に、「猿ケ又」は「三ケ又(さんがまた)」
から転訛したものともいわれています。


飯塚(いいづか)

飯塚という塚があるので、この地名が生まれたと言われています。
この塚は、現在西水元2丁目に約5メートル四方の小丘と稲荷神社の
小祀が残っていますが、その由緒は不明です。


小合(こあい)

室町時代は「小鮎(こあゆ)」と言っていました。
戦国時代には「小鮎」が転じて「小合」になっています。
地名は、おそらく川の鮎との関連で名付けられたものと思われます。


水元公園(みずもとこうえん)

昭和56年10月の住居表示実施前までは、
水元小合新町水元小合上町、水元小合町、水元猿町の
各一部の地域でありましたが、実施後現在の町名になりました。
丁目はなく、1番から8番までで、
「都立水元公園」の地域全部が含まれます。


東水元(ひがしみずもと)

昭和41年9月、50年2月、56年10月の住居表示実施前までは、
水元小合新町、水元小合上町の大部分、
水元小合町、水元猿町の各一部の地域でありましたが、
実施後現在の町名になりました。水元地域の東部に位置しています。


南水元(みなみみずもと)

昭和56年1月の住居表示実施前までは、水元飯塚町の大部分、
新宿町5丁目、水元小合町の各一部地域でありましたが
、実施後現在の町名になりました。水元地域の中央を東西に走る
「水元中央通り」の南部に位置しています。


水元(みずもと)

昭和56年1月の住居表示実施前までは、
水元小合町の大部分水元小合新町、水元小合上町、水元飯塚町、
水元猿町の各一部地域でありましたが、実施後現在の町名になりました。
水元地域のほぼ中央部に位置しています。


西水元(にしみずもと)

昭和56年10月の住居表示実施前までは、
水元猿町の大部分、水元飯塚町の一部地域でありましたが、
実施後現在の町名になりました。水元地域の西部に位置しており、
葛飾区の最北端を流れる大場川を挟んで埼玉県八潮市に、
西端を流れる中川を挟んで足立区に隣接しています。

葛飾区資料引用

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